ねこぺんろ その8 - 7番札所「十楽寺」 [遍路]
2007年10月5日(金) 晴れ 最高気温27度
(徳島県阿波市 7番札所「十楽寺」)
13時33分、7番札所「十楽寺」着。正式名称は「光明山 蓮華院 十楽寺」
ご本尊は阿弥陀如来さま。このお寺の開基も前の安楽寺と同じく、お大師さまが現在地より3kmほど離れた当時の十楽寺谷を訪れて、阿弥陀如来を感得し、像を刻んでご本尊としたことが始まりだとか。
このお寺よりも前のお寺にもあったのですが、始めて「宿坊」をそれと意識してみました。宿坊というのはお寺の宿泊施設です。といっても、実際にはお寺が経営する旅館といった性格が強く、本来は煩悩を一切捨て去って旅するはずのお遍路さん向けの宿でありながら、「泡般若湯」なる飲み物も飲むことができます。わかりますよね?
今回の旅では宿坊にお世話になることはなかったのですが、朝のおつとめを体験できたり、他のお遍路さんとの交流もできたりするので、歩きや公共交通機関でまわる機会があれば、ぜひ利用してみたいと思います。
テレビで見たのですが、宿坊ではごはんを食べる前のあいさつで「一粒のお米にも万人の力が加わっています 一滴の水にも天地の恵みがこもってます」と食事にありつけることに感謝をするそうですが、ぜいたくな生活をしている自分たちにはこころに残る言葉です。
さて、この十楽寺では、この遍路行記前半で一番記憶に残る登場人物たちと初遭遇しました。言葉が悪くてすみませんが、通称・黄泉路軍団「やなぎや軍団」です。
この軍団は、団体遍路の人たちで、お先達と思われるかなり高齢のやさしそうなお坊さんと、60~70代と思われる女性5~6人と、彼らがチャーターしたと思われる「やなぎや」さんという宿(旅行会社)の運転手さんで構成されています。この近道を知り尽くした運転手さんが運転するレインボーカラーのマシン「やなぎや号」(ぽぺ命名)に乗り込んで、細く険しい道のりも手馴れた運転でくぐり抜け、駐車場が離れたお寺でも門前に乗り付けて、軍団のみを下ろし、次から次へとお参りしていくという方法で、まわっておられました。ご朱印も頂かず、ただお参りだけをする団体でしたから、女性たちもかなり遍路経験豊富なおばちゃんたちのようでした。
それだけに、手馴れているというか、一直線というか、初心者遍路を寄せ付けぬ迫力で、次から次へと「やっつけていく」というかんじでお参りをされます。特におばちゃんたちのリーダーと思われる「ぽこばぁ」(ぽぺ命名)はかなり手強く、お坊さんすら後に置き、急な階段もすたすたと駆け上がり、お参りする場所を確保して、他を寄せ付けぬ勢いで、手持ちの木魚をぽこぽこと高らかに鳴り響かせて、お経を唱えるという初心者泣かせこの上ない方でした。
また、おばちゃんたちもかなり手強く、お線香やお賽銭をあげるときもこの軍団が終わるまでは近づくことすら難しい迫力です。あ、決してマナーが悪いわけじゃないんですよ。初心者が遠慮してしまう気迫で回っているってことなんです。お線香をあげるときに「どうぞ」と言ってもらったこともあるのですが、恐れ多くて「いえいえ、とんでもない、お先にどうぞ」と逃げ腰になってしまいました。
強力な破壊力を持った「やなぎや軍団」が、この旅最大のライバルとなるとは、この時点では知る由もなかったのでした。
このお寺でのお参りは「ぽこばぁ」の奏でる「ぽこぽこ音」とおばちゃんたちの迫力に完敗し、ただでさえ、息のあわないぽぺは、お経を唱えることすらまともにできない状態で、なんとかお参りを済ませました。
「急がないと次のお寺でもやられる」と脅迫観念にとらわれたぽぺは急いで十楽寺さんを後にしたのでした。
13時55分、十楽寺を出発。
(徳島県阿波市 7番札所「十楽寺」)
13時33分、7番札所「十楽寺」着。正式名称は「光明山 蓮華院 十楽寺」
ご本尊は阿弥陀如来さま。このお寺の開基も前の安楽寺と同じく、お大師さまが現在地より3kmほど離れた当時の十楽寺谷を訪れて、阿弥陀如来を感得し、像を刻んでご本尊としたことが始まりだとか。
このお寺よりも前のお寺にもあったのですが、始めて「宿坊」をそれと意識してみました。宿坊というのはお寺の宿泊施設です。といっても、実際にはお寺が経営する旅館といった性格が強く、本来は煩悩を一切捨て去って旅するはずのお遍路さん向けの宿でありながら、「泡般若湯」なる飲み物も飲むことができます。わかりますよね?
今回の旅では宿坊にお世話になることはなかったのですが、朝のおつとめを体験できたり、他のお遍路さんとの交流もできたりするので、歩きや公共交通機関でまわる機会があれば、ぜひ利用してみたいと思います。
テレビで見たのですが、宿坊ではごはんを食べる前のあいさつで「一粒のお米にも万人の力が加わっています 一滴の水にも天地の恵みがこもってます」と食事にありつけることに感謝をするそうですが、ぜいたくな生活をしている自分たちにはこころに残る言葉です。
さて、この十楽寺では、この遍路行記前半で一番記憶に残る登場人物たちと初遭遇しました。言葉が悪くてすみませんが、通称・黄泉路軍団「やなぎや軍団」です。
この軍団は、団体遍路の人たちで、お先達と思われるかなり高齢のやさしそうなお坊さんと、60~70代と思われる女性5~6人と、彼らがチャーターしたと思われる「やなぎや」さんという宿(旅行会社)の運転手さんで構成されています。この近道を知り尽くした運転手さんが運転するレインボーカラーのマシン「やなぎや号」(ぽぺ命名)に乗り込んで、細く険しい道のりも手馴れた運転でくぐり抜け、駐車場が離れたお寺でも門前に乗り付けて、軍団のみを下ろし、次から次へとお参りしていくという方法で、まわっておられました。ご朱印も頂かず、ただお参りだけをする団体でしたから、女性たちもかなり遍路経験豊富なおばちゃんたちのようでした。
それだけに、手馴れているというか、一直線というか、初心者遍路を寄せ付けぬ迫力で、次から次へと「やっつけていく」というかんじでお参りをされます。特におばちゃんたちのリーダーと思われる「ぽこばぁ」(ぽぺ命名)はかなり手強く、お坊さんすら後に置き、急な階段もすたすたと駆け上がり、お参りする場所を確保して、他を寄せ付けぬ勢いで、手持ちの木魚をぽこぽこと高らかに鳴り響かせて、お経を唱えるという初心者泣かせこの上ない方でした。
また、おばちゃんたちもかなり手強く、お線香やお賽銭をあげるときもこの軍団が終わるまでは近づくことすら難しい迫力です。あ、決してマナーが悪いわけじゃないんですよ。初心者が遠慮してしまう気迫で回っているってことなんです。お線香をあげるときに「どうぞ」と言ってもらったこともあるのですが、恐れ多くて「いえいえ、とんでもない、お先にどうぞ」と逃げ腰になってしまいました。
強力な破壊力を持った「やなぎや軍団」が、この旅最大のライバルとなるとは、この時点では知る由もなかったのでした。
このお寺でのお参りは「ぽこばぁ」の奏でる「ぽこぽこ音」とおばちゃんたちの迫力に完敗し、ただでさえ、息のあわないぽぺは、お経を唱えることすらまともにできない状態で、なんとかお参りを済ませました。
「急がないと次のお寺でもやられる」と脅迫観念にとらわれたぽぺは急いで十楽寺さんを後にしたのでした。
13時55分、十楽寺を出発。
2009-02-27 23:00
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